■■<「分かる」「出来る」「作る」>■■D-006
ホーム設計方法論 2008-11-30記述


■上の図は、学生向けに私がかかわるメカトロニクス領域での「科学」と「技術」の関係、研究、開発そして設計の関係を示したものである。1990年代前半、工場の技術管理部時代に採用対象の多くの学生と面接を行った。当時はバブルの時代だったから、どちらかと言えば「売り手市場」の環境で、しかも半数の学生が修士卒という中、工場の技術部門に学生を引っ張るのは易しくはなかった。
 まず学生は企業の技術開発の仕組みに幻想を持っていて、最初に「研究」があって、これを「開発」して、開発された装置を製品にするのが「設計」だと思っている。単純には、最も高級な仕事が研究であって、工場の設計は末端の技術作業と思っていた。だから、まず最初は研究所への配属を希望し、それがダメであると開発部、それでもダメなら設計部へ行こうかという。だから、製造技術をやってくれなどといっても、その重要性ややりがいは全く理解されない。日本企業が世界的にその評価を得ている最大の寄与はその「製造技術」にあることを分かってもらうのは難しい。
 私自身も企業に入るとき、とても研究できる能力はないから、面白そうな機械を作っていた工場の設計に潜り込んだので似たりよったりではある。学生にとっては、研究は頭の良い人の仕事、設計は頭のそれほど良くない人の仕事であった。これは事実ではないにせよ、頭の良さというものを特定な見方をすれば、まあ間違いではない。実は「頭の良い人は設計に不向き」なのである。

■そこで「研究なんか、設計の下請けさ」などと、私が暴言を吐くと、学生はキョトンとしてしまう。企業において人数的には研究者が最も少なく、製品設計者は多い。その意味では、研究者はピラミッドの頂点にいるが、一方で顧客を頂点においてピラミッドを作ったら、設計が上位にあって、研究者は、それら全てを支えるピラミッドの底辺にいる。まあ、屁理屈はこれくらいにして、「研究」「開発」「設計」のそれぞれの役割を定義してみたい。

■それは「分かる」「出来る」「作る」の関係にある。「研究」の役割は何より、分からなかったことを「分かる」ことにある。「作る」のは設計に任せてもらいたい。だから、研究所が、なにがしかの製品を「作った」などと報道向けの発表すると、研究所にモノが作れる訳はないだろうと思わず突っ込みたくなる。そして、3年後には、実用商品として発売する計画などと書いてあるが、しばらくすると、そのままうやむやになってしまうことが少なくない。それは、その研究が、きちんとそのものを「分かる」ための努力をすることなく、とりあえず作ってみたことの失敗である。研究には、「出来る」「作る」ためのベースとなることを「分かる」ことを務めてもらいたい。我々設計者は、基本的には研究者を尊敬している。研究者には慌てず将来を見据えて、しっかりと理屈で勝負して欲しい。結論を急ぐ必要はない。土光敏夫は「研究所は10年後のカレンダーを掛けておけ」と言った。(土光敏夫:土光敏夫信念の言葉,PHP研究所,1986) 功を焦るから失敗する。その研究が、数年で評価されたとしたら、むしろ喜ぶべきではないだろう。10年先は忘れられる。

■次は開発だ。基本的には研究所で「分かった」ことに基づき、商品として販売可能な製品が確かに「出来る」ことを検証するステップである。場合によっては、「分かって」いなくても、「出来る」ことを示さなければならないから、開発部門も大変だ。「出来る」という意味は、開発部で試作した、その製品が所定の機能を果たせば良いということではない。むしろ、たまたま作った試作機が、運よく動いてしまうと、これで「出来た」と誤解してしまって、これを引き受ける設計は後で苦労する。しばしば、現在は歩留り10%で、原価は予定の10倍だが、「出来た」と発表される。後は歩留りの改善と、原価低減すれぱ良いだけだなどと、のんきなことを言っている。こんなものは、「出来た」とは言わない。

■最後は製品部門の設計担当の仕事だ。我々の仕事は、商品を競合の中で差別化し、顧客に受け入れてもらえるように「作る」ことである。設計を始めるときに、「分かる」「出来る」作業が全て終わっていれば、設計は楽だが、そんなことは滅多にない。それを待っていたら、タイミングを逸する。だから、研究所や開発部に助けてもらいながら、「分かっていないこと」「出来るかどうか分からないこと」を前提にして設計を進める。結局、試行錯誤の繰り返し、周りから「バカ扱い」されながら、商品を仕上げるというのが、設計の宿命である。以下はほとんど被害妄想にすぎないが、なぜ設計ばかりが「バカ扱い」されるのだろうか。
 研究は、その課題について「分かるか」「分からないか」は、やってみなければ分からないということで、容認されている。だから、その研究に何の成果が現れなくても、バカと言われることはない。何より、あれほど優秀な研究者がやってもダメなのだから、難しいのだろうということで収まる。開発の場合も、試作したものを「出来た」と言い張れば、「設計」サイドからは出来ていないと思われても、それを製品化できない「設計」が悪いということで、これもまた収まる。
 設計は、上のように言い訳のできないぎりぎりの立場で設計をしている。だからと言って、私自身は「研究」や「開発」部門で仕事をしたいという気持ちを持ったことは、一度もなかった。私の技術者時代にかかわった、全ての新製品は、我々設計者が、その時点で世の中にないものを構想したものであって、決して研究・開発の結果をいただいて、設計した訳ではなかった。当然、いろいろと「分からないこと」「出来ないこと」があった。それは、優秀な研究者や開発部門が助けてくれた。だから、設計のはるかに楽しい。




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