■■<元技術者であり続けようとする理由を考えた>■■G-018
ホーム技術者の黄昏 2012-2-22 アップ

■遅きに失したが、64歳になって考えた。
60才で会社を定年になって丸4年たった。社会保険庁からは年金支給通知が届いた。喪中はがきによって、同年代の会社の友人が2人も病気で逝去されたことを知った。定年のときに考えていた老後のプランとズレてきているという気がするし、今のように、フルタイムでないにせよ仕事中心に時間を費やだけで良いのかなと感じた。正月に四国遍路に出て、宿毛から大洲まで5日掛けて歩いたあと高知まで戻る電車の中で書いている。 何かグズグス書いただけという感じだったので放置していたが、これがまさに現在の気分であるという点でとりあえず記録しておこうことで今日になってそのままアップした。

■定年後は、大学の非常勤講師やらコンサル的技術顧問やらいくつか掛け持ちでやってきた。まず大学の授業は、だんだん受講生の数が減ってきて、学生にとって魅力がないということが感じられて、また誘ってくださった先生も定年を迎えられ、関係が薄れたこともあってやめにした。メカトロニクス設計の選択科目だったが、そもそも設計の困難さは学理とは異なる部分で多く発生するし、そのような話は将来設計に携わる学生にとって有意義だと感じて引き受けたが、元技術者としてしっかり覚えてほしいと感ずるポイントは学理的に明快に理解できる話ではなく、必ずしも学生にとって有意義と感じられていないすれ違いが多かったからだ。それでも毎年数人は非常に熱心に徴候してくれる学生はいたが、このような学生は、逆にほっておいてもしっかりした技術者に育つだろう。多くの学生は計算やら調査のレポートは立派に仕上げられるけれど、ごく簡単なテーマでの構想設計のレポートになると途端に、これは設計じゃないというレベルのものがかなり混じることになる。設計というものの実際の困難さを実感していない時点で、設計を語ったところで、理解不能だったのであろう。当然、講義能力の低さもあったはずだ。

■月に一回でいいから来て欲しいと懇意にしていた会社トップから依頼されて通った会社は、2年程でやめた。コンサルする相手は、そのトップではなく、その会社で長年技術を統括している管理者である。経験と自信を持ち、部外者のコンサルなど必要ない。トップ指示とは言え面倒な相手をしなければいけないという感じで、契約切れで御用済みとなった。技術開発はコメントしたり、方向を示すだけでは一歩も前に進まない。その考えの不備な部分を実際にやってみて、失敗してみて、さらに考えを進めることで、前に進む。だから、いろいろその都度コメントしたり提案をしても、さらに一歩踏み込むことができないので、相手から見れば役に立たない。

■インターネットを通じて、未知な人や会社との付き合いも難しかった。問い合わせてくるのは、難問にぶつかってしまった設計者が、検索で答えを求めてたどり着いての相談が多く、こちらが考えていたような実際に会社に出向いて問題解決ではなかった。そうなると、いざ取り組もうにもその制約条件やその業界としての固有技術などメールのやり取りでは限界があった。すぐに答えを求めている設計者に対して、夜なべで調査したり計算したりするのはバカバカしかった。
 定年後の目標は基礎的英会話力と3D CAD操作力の習熟にあったが、特にCADはまったく手を出す時間がなく、手書きポンチ絵指示から脱却できない。これができていれば、このホームページの質も大分上がるはずだった。

■結局、現在まで続いているのは、メカトロ会社の製品開発だ。規模の小さな特定領域で、調査、提案から設計・製品化まで、知恵を絞って従来にない製品を市場に送り出す。この会社でも、技術者を育てて欲しいということで手伝っていたはずだが、いつの間にか、人を育てるよりは自ら製品開発を行ったほうが手っ取り早いというか、はるかに面白いということでのめり込んでしまった。
 しかしメカトロ設計は教えることのできないものだと感じている。何より教えるどころか、昔の設計者時代と同じ失敗をしてしまうのであるから、若い設計者から見れば信頼できるベテランではない。しかし、この方が自分にとっては今まで知らないことを知り、遥かにやりがいがある。成果としての製品も残る。ああしろ、こうしろ、これはダメ、あれはダメといって、手をださずに指導や育成しているだけでは、良い製品はできない、自ら失敗しながら初めてものになる。

■これがかねがねの持論であるのだが、リタイヤ後の人生を、今までの蓄積を生かして、知識を与えるという生き方をしても、それでは自ら得るものが何もない。特に成功した技術者の場合は、その成功のスタイルを相手に押し付けるようになるので、成功の自慢話を聞かされているとしか感じられなくなるし、当人にとってはノスタルジーの反芻にしか過ぎない。むろん自分は成功した技術者ではないので、語ることは華々しくはない。しかし言えるのは、そのような多くの技術者の存在とコツコツとした歩みが、日本のメカトロ技術を支え、世界に例のないような多くのシステムを生み出してきたということ、そしてその生き方は楽しいということを身を以て示す以外の方法で次世代の技術者に伝えることはできないということ。
 自分には「設計を教えることができない」。教えるということは、「同じことを語り続ける能力」のことである。これは忍耐のいることだし、技術者はふつう次々に異なること新しいこと行うことに喜びを感じるもので、同じことを語るのは恥と思う人種である。だから技術者は教えることがヘタなのだと思う。いまだかつて教え上手な技術者に出会ったことはない。教えるより、新たらしいことを知ることの方が得るものが多い。
 とにかく設計を教えるというのが、設計者に失敗させないためだとすれば、むしろそれは害悪ですらある。設計は古い設計者が消えることによってのみ革新するとすれば、設計は教えるべきではない。

■しかし64歳にもなって、いまさら新しいことを知って何の意味があるか。60歳を過ぎて4年、少しは技術者として成長していると実感することができる。今なら少しは自信を持って設計を進めることができそうな気さえするようになった。しかしこのようなことを誇っても仕方ない。それはようやく今新たに知った知識を、いまさら過去の失敗に生かすことはできないし、今やっている製品開発にしたところで結局は手伝い仕事にすぎない。考えることが楽しければそれでいいとも言っていられない。確かに楽しいこともあるが、設計というものはうんざりするようなこともさばいていかなければならない。そういうことが起こるたびにつくづくバカバカしさを感じる。

■確かに毎日物足りなさはある。それは結局、人生の終局に向けて結果を残したいという欲から出るということに気が付いた。「欲」を捨てるために、いよいよ自分も断捨離か。友人の定年技術者もすべての工学書を捨てたという。読みもしない機械学会誌を毎月封筒からも出さず積み上げておくのも無意味だ。それでも学会を辞められないのも、技術者である証明を失いたくないという「欲」だろう。
 山奥で仙人を自称している友人もいる。パラグライダを始めた友人もいる。古代インド思想における処世世代である四住期「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」でいうと最後の「遊行期」になる。遍路など本来「遊行」の典型形式と考えられる。しかし昨日まで遍路道を歩いていたのは「遊行」ではない、趣味の時間つぶしだ。

■苦労の絶えない設計を辞められないのは、結局、自身のただ一つのよって立つ心棒が設計技術であって、これを捨て去ることへの不安感が理由なのだと気が付いた。人生はプロセスであり結論はない。すなわち結果を自分で見ることはできない。物理現象や自然現象などの過渡応答と同じにプロセスに身を任せる。外乱やら過負荷に対する過渡応答こそ人生そのものであり、それ範囲での自由度の大きさが人生の楽しみである。それがどんな終わりを告げるかは自分には分かりようがない。技術者ではなく元技術者をもう少し続けようか。






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