■■<「第二登」戦略からの脱却>■■G-019
ホーム技術者の黄昏 2012-5-27アップ

■「世界で初めて○○の開発に成功した」と言うような国内ニュースにめっきりお目に掛からなくった。かつて新聞にはこの様なニュースは、今よりは多かったような気がする。しかし今にして思えば、そうやって「世界で初めて開発に成功した」技術なり装置はその後どうなったのだろうか。中でも研究部門や開発部門の発表は注意深く読む必要がある。それがその会社の創立記念やら何かのイベントとして発表されたようなものは、世界初であることが目標なのでニーズやシーズの裏付けがない打ち上げ花火である可能性が高い。だからまず製品化されることはない。単なる論文の箔付けとしてのニュースリリースであることや、マスコミが勝手にフレームアップしている場合もある。
 記事にあとn年後に製品販売すると書かれることも多い。そのnは大抵3〜5年だ。これは、これ以上早いと出来ないときに、嘘だったと言われるし、逆に遅いと、そもそも何ができてるのと言われるので、無難な予想ということになる。しかし、この3〜5年後でさえ、その画期的であった開発技術が製品にならないことは、はなはだ多い。すなわち「世界で初めて開発に成功した」というのは、常に条件付きであって、その条件をクリアすることの方が「世界で初めて開発に成功した」ことよりはるかに困難である場合が多いからである。

■未踏峰に最初に登ることを「第一登」と呼んで、その達成者は賛辞を受ける。エベレスト登頂におけるテンジンとヒラリーが代表例である。製品設計技術者の立場からは、これに比較して上記の様な開発を「第一登」と呼ぶことを了承しない。上記の開発は、山に登ったとは言えない。こういう障害はあるけれど、それを乗り越えれば山に登ることができますよと言っているのである。
 私が「第一登」という言葉を知ったのは、コニカのヒットメーカである内田康男さんの「商品開発のはなし:日科技連」」である。そこに西堀榮三郎の言葉として挙げている。それは「第ニ登」と言う概念に関するものであった。

…「
ヒマラヤの未踏峰のどれかを、誰かがはじめて登頂に成功したとする。彼、またはその隊が、登頂記録をいっさいまだ発表していないとしても、つまり、どのルートのどこに、どんな危険があるか、というような情報が、まだ何もわかっていなくても、誰かがその頂上に立った、という情報があるだけで、第二登以降ははるかに容易に頂上に立つことができるものだ。」…

 たとえば404号中村特許によって、青色LEDの製造が可能となったという事実が「第一登」であるとすれば、他社(および中村の去った日亜)は、その特許を使わなくとも、他のルートを辿って「第二登」を比較的容易に成功することができた。そして404特許などなくても出来ると主張することになるが、だからと言って、それがスマートな方法であるか否かは別にして「第一登」の事実は残る。

■しかし事業的成功は「第一登」と「第二登」のいずれが優位かは示していない。むしろ「第二登」の方が戦略的であったとも言える。「第一登」は冒険者の仕事で、「第二登」は事業家の仕事であるからである。
 何十年も前の入社当時、先輩技術者から同じ様な話し聞いたことが印象深い。良く森を見ろ。よく見ると先人が切り開いた踏み分け道が見つかるだろうし、巨木に斧のあとも見つかるだろう。力尽きたのか、深い斧のあとでもう少しで倒れそうな巨木があったとして、それを倒すに値すると思ったら、その巨木に立ち向かえ。最初に立ち向かったという栄誉は得られなくこも、最初に切り倒したという成果を得ることができる。ニュートンの「巨人の肩に立つ」という話しに似ている。
 ベンツやライツのような偉大なメーカを考えると、それぞれが必ずしも技術的「第一登」者ではなかったと言える。自動車は多くの先行する技術者たちが造っていたし、35mmフィルムのフォーカルプレーンシャッタ付きカメラもライカが最初ではない。では、彼らは何を最初にやったか。実用して信頼に足る現代的工業製品として「メルセデス」あるいは「ライカ」を作り出した。決して先行者ではないが、先行者を決定的に凌駕した「第二登」であったと言える。そして技術の長い歴史の中で、それぞれ、元々の先行者は忘れられて、彼らが「第一登者」として尊敬を集めることとなる。

■「世界で初めて○○の開発に成功した」と言うような条件付きの世界初技術を生み出すことにのみ注力しても、産業的成功は収められないことを歴史は示している。日本産業の近代の成功と挫折について考えると、先行する欧米企業の後ろ姿を追って、格別な原理的開発を行うことなく、小さな工夫を積み重ねる中で、結果として「妥当な価格で高品質な製品」を生み出し、多くの分野で欧米産業を凌駕してしまった。これに対して欧米は、初めのうちは、自らの「第一登者」意識に基づいて、模倣者として蔑むが、長い時間の努力はこれを覆し、発明したのは日本ではないけれどという条件つきながらも、その技術姿勢は一定の尊敬を得られるところまで到達した。そしてその成功を味わう間もなく、こんどは「さらなる低価格と妥当な品質」を生み出す新興勢力の攻勢に日本産業が苦戦する。そして、かつての欧米とは違って、自らの「第二登戦略」と同じような戦略を大規模に展開されることによって、牙城を切り崩され、打倒されつつあることに戸惑いを感じている。


■今求められているのは「第二登戦略」からの脱却だということに気が付いた。その解として「第一登」すべきということが必ずしも重要ではないということはすでに述べた。もうテレビなど作ってもしょうがないという人は多い。「コモディティ」などという言葉を持ち出して負け惜しみだ。本当は、中韓が液晶で追いかけてきたら、有機ELで再び突き放すというのが戦略ではなかったか。太陽電池もあったはずだし、燃料電池もあるはずだった。今、これらにバラ色の未来を描く人はいないくなった。確かに、製造方法が確立してしまえば、投資体力と低人件費にまた負けるという不安はもっともだ。始まる前から負けている。

■アップルを例に挙げて、企業の変革を求める評論家も多い。アップルはPCでの敗北によって失った市場を、別の新しい市場創出に求めた結果が、IphonやIPADだ。携帯電話の成功者NOKIAは、成功ゆえに転換が遅れた。テレビ国内メーカもある意味成功者であって、成功の延長線が無限には続かないという歴史の教えは知っていながら、その転換タイミングを見極められなかった。かつてソニーの盛田会長は、自らの成功商品を陳腐化させるのは、ソニー自らの仕事だと言っていたにもかかわらず……。そうして見ると、早々とPCを止めたIBMの賢明さが光るし、弱さゆえの提携戦略で業績を上げている日産も参考になる。結局、自らの弱さをいち早く認識して、行動を起こした企業が生き残る。その意味では、現在大きな赤字を計上して、評論家諸兄から叩かれている電機メーカだって、落ちた以上、必ず這い上がって来ることを期待したい。その時に作っているものは、まったく異なっていなければならない。

■その戦略とは「別の山を探す」ことだ。日本は「モノ作り立国」だ、今日本のモノ作りが危機に瀕しているという言い方をする人が多い。モノ作りは方法論(HOW)だ。すなわち日本は「モノ作り」からというか、「モノ作り中心」の発想からの転換が必要だと思う。言い古されているかもしれないが、HOWからWHATへの転換。何を作るかを考えるのが「設計」であるから、これからは「製造」から「設計」への転換が必要だというのが私の考えである。近年、技術的・設計的にはやりつくしてきたので、各社の製品の差別化はできなくなっているし、そもそも技術側のやりたいことは、必ずしもニーズに対応しなくなっていると考えるマネージメントは多い。そこではマーケティングによって、同じものをイメージによって訴求する販売戦略の方が重視される。そのイメージ戦略が「日本品質」であったり、「モノ作りへのこだわり」だったりするから滑稽なことになる。ようするに、いまどき「モノ作り」を語るのは、最も現場から遠い人達かもしれない。私だったら、これからは「モノ作り」から「モノ語り」の時代だとでも言いたいところだ。これを語るのが設計の仕事だ。






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