■■<見たいものが見えてしまった>■■G-020
ホーム技術者の黄昏 2013-5-3アップ

■東大地震研は、従来未確認であった地点の立川断層において、今まで知られていた形式とは異なる断層構造を発見した。この事実から、立川断層の破壊による地震の挙動が従来の想定から異なる可能性について、現地の断層発掘地点を公開するとともに一般にその見解を「新発見」として公表した。
 本年3月末になって、地震研の佐藤比呂史教授は、その発表の根拠とされた断層部の縦にならんだ石が、自然石ではなく人工物(コンクリート)であることを認め、この発見は誤りであることを会見で発表して、謝罪した。
 その時の佐藤教授の名言が「「研究者は何年もかけて調査計画を立てる。
(断層を)見つけたいという強い思いがバイアスになって、『見たいものが見えてしまった』ということだ」である。これは確証バイアスという心理学用語で知られる現象であって、観察者の経験や願望等に基ずく先入観が、客観的な判断を誤らせ、自分に都合のいい情報を無意識的に結合して、自分にとって納得できる結論を導いてしまうこととされる。 カエサルはガリア戦記で「多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」という言葉を残しているとされるが、これもより一般化した同様の思考形態であるといえる。ガリア戦記(講談社学術文庫)第3巻18節には「願わしいものなら喜んで本当と思いこむ人間の一般的な傾向」という訳文がある。
 格言だらけになるが、「どんな証拠であっても、信じたい人には有効でも信じたくない人には無意味である」と、哲学者ウィリアム・ジェームスは述べている。これはジェームスが、心霊現象に対してとった態度である。心霊現象や偽科学的現象はそれを信じようとする者を説得するには十分だが、懐疑的な人間を説得するには決して十分でない証拠しか提示できないからである。
 
■生存という行為は、まさに自己肯定の行為であるから、自己にとって良いと思われる判断をするという脳の活動は適応的ではあるので、だれでもが、このような判断ミスを犯す可能性もっている。しかし科学や工学の世界での論理形成、特に実験科学では、最初に仮説を立てて、この仮説を検証するための実験を行うことが多い。この場合「仮説」はまさに見たいものである。だから専門家が実験データを見る場合に、このような「見たいものを見てしまう」ことのないように常に自覚している。だから「見たいものを見てしまった」という発言は言ってはならなかった。今考えれば、大騒ぎになったユタ大学の「常温核融合」も、これに類した話しであったが、ユタ大学のフライシュマンと. ポンズは「見たいものを見てしまった」とは最後まで言わなかった。
 このような問題意識をもったのは、学生時代の卒論の実験での経験からである。モジュール10の歯車の1歯に、繰り返し応力を与え、破断までの回数を記録するいう地道な実験である。実験していると、条件によって想定される回数が見えてくる。他のデータから、10回を越えそうな実験で、たまに、きわめて少ない10回あたりで破断してしまうことが起きた。それをグラフにプロットすると、そのデータだけが特異値になって説明がつきにくい。実験ミスではないかと思いたくなる。データを棄てたくなった。当時の一般的な工学データは、定荷重繰り返しのS−Nカーブであったのに対して、この実験では、ノイズ発生機を利用して、荷重をランダムに与えるものであった。このことは、定荷重での寿命より、ランダム荷重での寿命バラツキが大きくなるというという実験的事実を示していた。

■話しは戻って、東大地震研の今回のミスの原因として、発掘物が人工物か自然物かの判断が事前にできなかったことにあるように素人目には見える。たしかにセメントには自然物である砂利も含まれるし、原料は当然自然物だから、その分析は難しいのだろうか? WEBで見る限り、岩石の成分分析には普通の蛍光X線分析器が使われるようだ。ポルトランドセメントの主成分(60%以上)は酸化カルシウム(CAO)で、これは自然界には存在しないとのことであるので、なぜ分析できなかったかは、もっと別な理由があるかもしれない。いずれにせよ、再チェックでは、自然物ではなく人工物と判定できたのであるから、拙速な発表であったと批判されてしまうのは、気の毒ではあるけれど。

■最後に最近読み直した「大地動乱の時代:石橋克彦,岩波新書,1995年10刷」でのデータ(p.172 図5−3)を引用させていただく。あまりにも美しいデータなので印象が強い。このグラフは「小田原地震70年周期説」の裏付けデータとして知られ、いろいろな場面で引用されている。過去のデータから外挿された次の小田原地震は1998.4年±3.1年であった。月を少数単位で表現しているので紛らわしいが、これは予測ではなく、「作業仮説」であるとの著者の断り書きがあることは配慮すべきである。
…大正関東地震以降の水準測量によると、相模湾北西岸は1923年以前のような顕著な沈降を示していない。そうであれば、つぎは1782年天明地震にちかいものになるのではなかろうか。「小田原以北の内陸で、深さが10〜25キロ、西へ高角で傾く長さ20キロ程度の面に沿う左横ずれ逆断層、M約7」というのが一つの予測である。ただし、西相模湾断裂説はあくまでも作業仮説にすぎないから、長期予測としてはいろいろな可能性を考えておくほうがよい。…上記書P.178
■石橋先生の仮説はプレートの特定面での地震発生に周期性があるということである。そこで、神奈川西部で過去に発生した地震を評価していくのだが、仮説の周期に外れる地震について、その信憑性に対する評価は厳しく、逆に周期に一致している地震の記録はあっさりと受け入れているように見えなくもない。どうしても、「見たいものを見ている」のではないかという思いが残る。1998年頃に予測された地震が発生していれば、その評価は、まったく異なっただろう。それでも、現在は先生の「作業仮説」が先生の権威によって、当然起こるべき地震が起こっていない、危機が限りなく近づいているとする論調が多い。神奈川県民として気になるので、話しがそれていってしまったが、「見たいものを見えてしまう」ことを避けることが、逆に「見たくないものを見えなくする」であってはならないだろう。





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